東日本大震災10年

3月11日です。

東日本大震災、そして福島原発事故から10年。去年から今年はコロナウィルス感染ニュースに日本中、世界中が正しい情報をもとめ治療も予防も右往左往しています。

毎年、3月11日が近づくと東日本大震災の出来事を報道も、エンタメ番組もとりあげます。2011年日本中の人達が驚き、映画の世界のような、今までの私達の生活には想像にもなかった報道と映像を覚えています。

あの日、私は名古屋御園座で3月公演をやっていました。芝居を終えお昼公演の歌のステージで舞台を飛んで走って歌っていたので、最初は気づかずにいましたが舞台の横からスタッフが上を指さして前に前にと大きく手を振るので、上を見ると照明のバトンがガッシャンガッシャンと音をたて揺れていました。

満員のお客様に、「大丈夫ですよ大きな揺れですけれど、ここは安全です!」と声を掛けました。皆さんドアに殺到しては大変と咄嗟に話したのを思い出します。(後で聞いたら、劇場は老朽化により耐震構造になっていなかったとの事その後、取り壊され今はピカピカの劇場です????)

間の時間にニュースを見ると大変な津波の映像に、その時私の衣装着付けをやってくださっていた松橋さんが、テレビを見て「あっここ家の駐車場です。弟の車を止めているんです。」見る間に津波が駐車場を飲み込んで行き、それから電話をしても通じないし5日ほどたってやっと連絡が取れてそれからは、名古屋から宅急便で色んな生活用品を近所の皆さんで使っていただけるように送りました。(公共機関は混み合っていましたが宅急便の復旧の速さは素晴らしかったです。)

避難所、仮設住宅と伺い皆さんとお会いしました。最初は津波の後がそのままにその時を経験していない私でさえ凄まじかった跡がいっぱいでした。

色んな方々にお目にかかり病院でも歌いました。行って歌う事で瞬間でも、心を治めて頂きたいと思いながら。

夏に気仙沼の避難所に伺った時、お婆さんが笑いながら「あ〜ハエもデカくなった、もう3代目くらいか」と言われたのを聞いた時、皆さんの大変な毎日これから先の不安を笑い飛ばすお婆さんに力強さを感じ、自分に出来ることは何なのだろうと思いました。

昨夜、TVで原発事故発生からその時の政府やそれぞれの人のその時を見ました。

10年経っても、解決のいとぐちにも達していない、福島の皆さんのことを考えました。

原発の事ももっと学び、考えなければと心痛みました。

止める事も、抑える事もできないものの恐ろしさを知った私たちはもっとしっかり今後のエネルギーにも議論をして行かなければと考える番組でした。

あの日から思いもしなかった日が始まり、少しでも元の生活を取り戻すよう過ごしている皆さん、子供たちが、幸せな故郷大好きな生まれた所と思えるようになりますよう私も自分に出来ることを届けて行きたい考えて行きたいと思います。

書きたい事も思う事もまだまだあります。

コロナ禍もつづきます、どうぞ元気にいて下さい。

石川さゆり

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