この度、石川さゆりが令和元年、春の紫綬褒章を受章致しました。
先頃、20日の新聞発表に併せてテイチクエンタテインメント本社にて行なわれました記者会見での石川さゆりによる感謝の言葉をここに全文掲載させていただきます。
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改めまして。石川さゆりでございます。本日はありがとうございます。
今回、紫綬褒章受章のお知らせを受けまして、大変うれしく、ありがたく思っております。これは今日ということよりも、私がデビューをしてから47年近くなりますけれども、この間に皆と一緒に作ってきた音楽、歌というものが、みなさまの元へちゃんと届いたのだな、ということを認めていただき、そして、これまでやってきたことが「間違っていないぞ、これからもこの方向で、きちんと進んでいっていいんじゃないか」と。そういうことを言っていただけたような、ありがたい気持ちと、またこれは叱咤激励ではないかと、受け止めました。
ですから、より一層の精進をしていかなければいけない。そして、今。日本の国において、歌、音楽において「何ができるんだろう」ということをこれからも探していきたいと思っております。
いままで47年近くを経て、今日と言う日があります。私は子どものときから歌が大好きで、ひたすら歌を歌い、歌い重ねてきた日々でした。
そのことを楽しんでくださったお客さま、ファンのみなさんがいらしてこそ、今日まで続けてくることができたのだなあということを何よりもまず、感謝致します。
また先ほど、私の(所属する)レコード会社に到着しました時に、社長はじめ皆さんが「おめでとうございます」と言ってくださいました。そして、これまで長くディレクションをしてくれ、ともに音楽をつくってきたスタッフたちが「僕たちのよろこびは実は10年前、いつの日か石川さゆりに何か、めでたき勲章のようなものを獲ってもらえるように頑張ろうね、とみんなでそう誓い合った日にあるんだ」ということを話してくれました。それを聞いた時に「ああ、そうなんだな」と。今日の私があるのも、いままでどれくらいのスタッフが一緒にかかわり、仕事をつくってきたんだろう。そんなことを思いました。
そしてまた、私は歌い手です。作詞家・作曲家の作品があり、それを表現して参りましたから、先生方にも感謝したいなあと思いました。
こうして長く歌って参りますと、知らせを受けた時に、「先生、何かこんなにすごいお知らせをうけたんですけど」と電話をしたくても、―――吉岡治さん、阿久悠さん、三木たかしさん。これまで私を育ててくださった先生方は天国に逝ってしまっております。
そうした方々に対しましても、恥じないよう、「これからもしっかりとまた、この道を歩いていきます。進んで参ります。」ということを誓ったといいますか。そんな思いで、今日ここにすわっております。
デビューの時から考えますと、スタッフもマネジャーをはじめ、ミュージシャンはもちろん、かかわってきた方の数は何百人、いえ、もしかしたら千を超えているんだろうなあ、って思いますと、そんなみんなの頑張ってくれたことに対するお返しというのはやはり、私にとってはいい歌を歌うことであり、歌で伝えていくことなのかなあ、というふうに思っております。
歌というのは、どんな人の隣にも寄り添えるものなのです。
偉い人もどんな人も、若い人もおじいちゃんも、おばあちゃんも関係なく。
困難を抱えた人にも、いいことにいっぱい囲まれた人にも。何か、こう、吹く風のように隣に寄り添って、「よかったね」ということをより膨らませることができたり、「元気出せよ」と云えることができたり。
そういう、人の心に寄り添っていける歌が歌っていけたらいいなあ、と。
自分の唄った歌が、皆さんの中で、「自分がこんなにうれしいときに、こんな歌があったな」とか「こんなつらいときに石川さゆりの、この歌を歌って乗り越えてきたよな」とか。皆さんの思い出として、ともにいられるとしたら……。本当に歌い手としてしあわせに思います。
これからもそういう歌をつくっていきたい。みんなで目指していきたいと思っております。今日は本当にありがとうございました。(談)