歌い手の原点を再確認しました

今日は『ごぜ唄が聞こえる』というイベントを観に行ってきました。ごぜさんとは、三味線を携えて農村・山村を巡り、段物や口説、民謡(ごぜ唄)を聞かせ喜拾されるお米やご祝儀を収入としていた盲目の女性旅芸人のことです。また、ごぜさんは各地を回りながら遠方の情報を伝えてくれる貴重な情報源でもあったそうです。残念ながら今はもう現役のごぜさんはいらっしゃらないそうですが、今回は最後のごぜさんと言われ、人間国宝でもあった小林ハルさんのお弟子さんであり、越後ごぜ唄の伝承者である萱森直子さんのごぜ唄を聞くことができました。
 
ごぜ唄には、門付けと言われる一番初めに唄う唄(ごぜさんは唄を読むと言うそうです。)や、沢山の段からできている唄(長いものでは計10段、10時間にもなる唄もあるそうです。)、お別れの時に唄う発ち唄などがあり、それぞれの中にも色んな種類の唄があります。艶っぽいものから面白いものまで、お客さんがぎっしりと並ぶ会場で目を閉じて聞くごぜ唄は、ごぜさんをみんなで囲んでいた当時の空気を感じさせてくれました。
 
また、今回は小林ハルさんご本人に関するお話も聞くことができました。ハルさんのお母さんは、視力を失ったハルさんが1人でも強く生きていけるようにと、幼少のハルさんを厳しく育てたそうです。そのおかげで、ハルさんは目が見えないということを特に意識することが無かったようですが、ある時、ハルさんが摘んできた花のなかに、違う色の花が混ざっていました。それを友達に指摘されても、ハルさんには何が違うのかわかりません。すると友達は、ハルさんは目が見えないからしかたないと言ったそうです。そして、ハルさんはその一言がきっかけで、他の人には見えているものが自分には見えないのだということを知ったそうです。ハルさんの気持ちを察すると、悪気の無い無邪気な子供の一言とはいえ悲しかったろうなぁ、と切なくなりました。ごぜさんになってからも、旅先では本当に沢山辛い思いをしたでしょう。でも、会場に飾られていたハルさんの晩年のお写真の顔には、厳しさを生き抜いてこその穏やかさのようなものを感じました。
 
そして、萱森さんがごぜ唄を唄って帰ってくるとハルさんは、「上手に唄えたか」「間違わなかったか」などとは聞かず、「お客人は喜んでくれなすったか」といつも聞いたそうです。聞いてくれるお客さんの喜びが、ハルさんにとっての喜びでありパワーの源だったのかもしれませんね。私も、歌うことでみなさんに喜んでいただける様な歌い手でありたい、と思っています。

石川さゆり

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