いまから遡ること40年前。時は1977年(昭和52年)。この年、1月1日発売にリリースされた『津軽海峡・冬景色』の大ヒットにより、歌手石川さゆりの名は日本全国津々浦々に知れ渡ることとなりました。次いで5月10日『能登半島』、9月1日『暖流』が発売され、こちらもヒット。
結果、『津軽海峡・冬景色』はその年の日本レコード大賞 歌唱賞を受賞。さらには年間チャート上位90曲に先の3曲が同時ランクインするほどのセールス記録を樹立したのでした。
「何だか、盆と正月がいっぺんに来たような年だった」とさゆりさんは笑いますが、この三部作によって歌手石川さゆりの人気がゆるぎないものとなった。そう言っても過言ではないでしょう。
いずれの楽曲も言わずと知れた作詞・阿久悠、作曲三木たかしコンビの作品でした。
デビュー後、なかなかヒット曲に恵まれず、不遇の時代が続いていたさゆりさんでしたが、腐らず、まっすぐに歌を求める姿をちゃんと見ている人がいた、というわけです。
「この子を、何とか光の当たるところに、と考えてくださったんだと思います」とさゆりさんは当時を振り返ります。
『津軽海峡・冬景色』の大ヒットの後、「次は出身地の歌を書くから」と阿久悠さんはさゆりさんに話したそう。ところが、ほどなくあがってきた次の楽曲は出身地の熊本ではなく石川県の『能登半島』。
勘違いだったのか、確信犯だったのか定かではないのですが、「苗字が石川だから石川県出身だと思って書いてくださったのだろう」と、ありがたく受け止めたといいます。そして『能登半島』も大ヒット。
ちなみにさゆりさんの出身地、熊本がテーマになった曲『火の国へ』も約束通り、翌年リリースされています。発売日を調べると1978年7月1日。ファンの間ではお馴染みの曲ですが、当時の売り上げを比べてみると、やはり『能登半島』に軍配があがります。たとえ、歌い手としてどの曲も同じように全力投球したとしても、ヒットにつながるかどうかは、やはり時の運によるところも大きい。
いまではファンの間で「旅情三部作」と親しまれている3楽曲ですが、リリース順は偶然の賜物とはいえ、その連続ヒットのタイミングが「神ってた!」ことだけは確かです。それはまるで「石川さゆりを一発屋にしてはならない」という阿久悠さん、三木たかしさんの執念が後押しした、見えざる神の采配のように。
そういえば、『春夏秋冬』でコラボした小渕健太郎さんは1977年生まれ。
これもまた、奇遇ですね。